肩をトントン、と叩かれて振り向くと、後ろの席の深津が何やら紙片を差し出してきた。

「なにこれ」
「手紙ピョン」
「手紙?」
「いいから黙って読むピョン」

それだけ言ってまた深津は黒板に目線を向ける。板書し終えた先生が前を向いたらしい。私も体をまっすぐ前に戻して、折り目のついた紙片を広げる。小さく見えたそれは、レポート用紙を四つ折りにしたものらしい。

拝啓
薫風緑樹をわたる好季節となり、様におかれましては、より一層活気に満ちていることと存じますピョン。


なにこれ。
さっき深津に返した言葉と同じ言葉を胸の中でつぶやく。ヤツは手紙の語尾までピョンなのか。

先日の中間考査では、一夜漬けのせいなのか、機械工学の考査時間中、大変心地よさそうな睡眠をお取りになっていらっしゃいましたピョン。

えっ、うそ、見てたの!?
ガバリと後ろを振り向くと、深津は目線だけ動かして私を見ただけで、そのまま黒板を見つめている。そもそも今は授業中だし、とやかく深津と会話ができる状況にないので、私は渋々よじった体を元に戻す。

半開きの口からよだれが溢れないか、閉じられたまぶたがいつ開いて半目になるかと、ヒヤヒヤして考査に全く集中できませんでしたピョン。

よ、よだれなんて出てない…っ!!半目…はちょっと自信ないけど!!
え、ていうか、まじで何これ、怒られてる?

こんなに男がたくさんいる部屋で、あんなにスヤスヤ眠るなんて危機感がなさすぎて心配になりましたピョン。幸せそうに眠る寝顔も、だらしない寝顔も、俺以外の男に見せてほしくないですピョン。

は?

今後は、お付き合いのほどよろしくお願い申し上げますピョン。
簡単ですが、用件のみにて失礼いたしますピョン。
敬具


え?なに?お付き合いって…お付き合い?
チャイムが鳴って、日直が号令をかける。ガタガタと椅子を動かし立ち上がる。
惰性で首だけ動かして礼をしたあと、ふわふわと腰から力が抜けていく。

、最後まで読んだピョン?」
「え、深津、え、」
「この間の国語の授業で手紙の書き方習ったピョン」
「え、いや、そうだけど、」
「返事、待ってるピョン」

いつもと同じ調子の深津に、私の頭がますます混乱してゆく。え?「お付き合い」って、定型文の「お付き合い」で深い意味はないってこと?
狐につままれたような気分の私に、深津がやれやれという雰囲気で言葉をかける。

「今日、何の日か知ってるピョン?」
「え?」
「『恋文の日』ピョン」
「こいっ…!?」

かぁっと頬が熱くなったのがわかった。どくんと胸が高鳴って、一瞬息が詰まる。
そんな私の反応を見て、深津がほんの少しだけ口角を上げた。


***


「深津、これ」

思いの外早い返事が届いた。俺の渡した「恋文」を読んで、呆けていたの可愛い顔を思い出すと、うっかり口元が緩みそうになる。
自分と同じようにレポート用紙を四つ折りにしたものを開くと、やや丸みを帯びた彼女の字が並んでいる。

拝啓
このたびはご丁寧なお手紙、ありがとうございました。
日ごろは何かとご高配いただき、誠にありがとうございます。


返信では時候の挨拶を省略する。さすが国語が得意なだけあるピョン。

先日の中間考査ではお見苦しいものをお見せしてしまい、深津様には多大なるご心配とご迷惑をおかけしましたことを、心よりお詫び申し上げます。今後は体調管理に留意し、同様の事例がないよう全力で努めて参ります。

これだけ謝罪の文面を書ければ、来年から社会人としてやっていけそうだピョン。

お付き合いに関しましては、こちらの意図と深津様の意図に食い違いがあるといけませんので、追って確認させていただきたく存じます。お手数をおかけいたしますが、何卒ご承知願います。
深津様の、益々のご活躍をお祈り申し上げます。
取り急ぎ、お返事申し上げます。
敬具


なるほど、そうきたかピョン。
読み終えてちらりと前の席を見やると、こちらをうかがうの目線とかち合った。
読み終えたことを察したのか、彼女があわてたように姿勢を正し前を向く。
ならば、そちらの意図確認させてもらうピョン。

昼休みになり、騒がしい奴らが一斉に購買に向けて走り出した。今日は天気もいいし、外で弁当を食べようと出て行く奴も多そうだ。
恐らく隣のクラスの女子と弁当を食べるんだろう。小さな手提げを持って立ち上がったの手首をそっとつかむ。

「、わ、びっくりした」
「意図、確認するピョン」
「い、いま!?」
「気になって昼練どころじゃないピョン」

俺が椅子に腰を落とすと、観念したように彼女も再び自分の席に座る。

はどういう意図だと思ってるピョン」
「…え、ん、いや、」

なかなかこちらを直視せず、もごもごと口籠る姿がいじらしい。若干上目遣いになってるところ、狙ってやってるとしたらタチ悪いピョン。

「いや、まって、そもそも深津から手紙くれたんだからさ、深津から言ってよ」
「なるほどピョン」

口を尖らせながら横目でこちらを見るがかわいすぎる。手提げの持ち手をいじっている右手をそっと取りこちらの机の上に乗せると、驚いたような顔で握られた手と俺の顔を交互に見比べている。

「恋文って言ったピョン。付き合うっていうのは、そう言う意味だピョン」
「…、」
「…のことが好きだピョン」

少しだけ手を引き、近づいた横顔の耳元でそう囁けば、が目を見開いて硬直した。
…かわいすぎるピョン。

「お互いの付き合うの意図は一致してたピョン?」
「…ッ」

きゅっと口を結ぶと、が上目遣いでこちらを見上げる。だからその顔は反則だピョン。今すぐこんなとこでどうにかしてしまいそうだ、ピョン。

「…う、ん、」
「…」
「うれ、しい、です」
「…つまり?」
「…わたしも…すき…」

昼休みのざわめきの中で、聞き漏らしてしまいそうなほどの小さな声も、集中力を研ぎ澄ました耳にはしっかりと届く。
言い終わって、彼女がはにかんだような笑顔を浮かべた瞬間、どくりと腹の底に熱いものがこみあげる。
今まで見たことのない表情を見ていることへの喜びのような驚きのような興奮が、体の真ん中から頭の先、手足の先へと駆け巡るのを感じる。

「…深津?」

何も言わない俺に怪訝そうな顔をして、が俺の顔を覗きこむ。また少し近くなった距離に、このまま離れるのはもったいない気がして、顔を近づけながらもらった手紙のレポート用紙を広げて二人の顔を隠す。

「…!?」
「…これからよろしくピョン」

頬を抑えたままの彼女の頭を軽くひと撫でして、俺は昼練に行くため、わざと音を立てて椅子を引いた。


(…!?…、!?今、ほっぺ、!?)
(……今度は、口にする、ピョン)