「なー、次の化学って移動なの?」
「うん、化学実験室らしいよ」
「まじかー、遠いなー」


友達が隣のクラスに教科書を借りに行っているのを教室の後ろのドアで待っていた私に、3列離れたところから仙道が聞いてくる。
私の返事を聞いてのそりと立ち上がり、後ろのロッカーに教科書を取りに行き、そのまま私の隣に立つ。


「え?」
「ん?」
「なに?」
「行かねーの?」
「なっちゃん待ってる」
「あぁ、なるほどね」


そのまま壁にもたれて教科書をパラパラしながら仙道は動こうとしない。


「仙道、化学実験室の場所わかんないの?」
「わかるよ」
「行かないの?」
「友達待ってんだろ?」


えっと、一緒に行こうとしてるってことかな?
今年に入ってから、仙道との距離が謎に近づいてきている気がする。
それは、こういう移動教室を一緒に行くとかそういうのもだし、二人で並んで立ってる時の物理的距離も、何となく去年より近い。
2年連続で同じクラスになったから?
たしかに、2年連続同じクラスって、私の他には2人くらいしかいないし、仙道は同じ中学出身の生徒もいないらしいから、バスケ部のいないこのクラスでは仙道との付き合いは長い部類に入るのかも知れない。


「あ、
「あれ、なっちゃんに会った?」
「会ったよ、なんかトイレ行くから先に行ってていいよって」
「マジか」


なっちゃんが教科書を借りに行くと言っていた友達が丁寧に伝言を伝えにきてくれて、私は仙道と連れ立って教室を出た。その後ろで、施錠係の子がドアの鍵を閉める。


「何の実験すんの?」
「なんだろ?」
「レポートとか書かされるやつ?」
「どうだろうね」
「レポートだったら助けてよ」
「ええー、助けるっていうかほぼ私の写す気でしょ」
「さすが、俺のことわかってる」


おどけたように言うけれど、何となく100パーセント冗談っていう感じもしなくて、私は無言で仙道を見上げる。
目が合うと、にこりと仙道が笑う。はー、これだからイケメンは困る。
この笑顔にどれだけ絆されてきたのか。そしてこれからどれだけ絆されてしまうのか。


「なに、難しい顔して」
「別にー」


仙道と連れ立って化学実験室に入ると、今日は座席を指定しないので適当に座っていいと板書されていた。ひとつの机に座れる人数もそう多くはないし、どうしようかと教室を見渡すと、仙道が当然のように空いている机の椅子を2つ下ろした。


、前でいい?俺が後ろの方がいいよね」
「え、あ、うん、」


残り2つの椅子の1つはなっちゃんだし、もう1つは多分施錠係の彼になるだろうか。


「椅子ありがと」
「どーいたしまして」


ガタガタと「理科室」っぽい椅子に座ると、後ろの机に座っていた男子が仙道の肩をつついた。


「なぁ仙道」
「ん?」
「お前とさんって付き合ってんだよな?」


自分が話しかけられたわけではないのに、びっくりして2人の方を振り向いてしまう。いわゆるムードメーカータイプのその男子は、興味本位という視線を隠していない。


「あー、バレた?」
「へー、やっぱそうなんだ」
「はぁ!?!?」


びっくりしすぎて素っ頓狂な声が出る。
あはは、怒られたーと悪びれもせず笑う仙道に、ムードメーカー男子がきょとんとする。


「付き合ってないから!今のは仙道の冗談」
「え、マジで。ついに移動教室も一緒に来たから付き合ってんの隠さなくなったんかと思った」
「いやいやいや、何言ってんの?付き合ってた風なことあった?」
「えーだって仲良いじゃん、ふたり」
「どこが!?」
「どこがって…さん本気で言ってんの?」


信じられないものを見るような男子と私の間で、仙道は頬杖をついて口元を隠している。いやあれ絶対ニヤついてるでしょ。


「仙道が課題とか、担任からの連絡とか、ちょっとしたこと聞くのはいっつもさんだし、昼とかたまに一緒に食べてんじゃん」
「……それは、」
「最近仙道が女子からの差し入れ断るようになったって俺の友達が言ってたし、」
「……え、」
「あと普通に距離が近い」
「……、そ、かな」
「そう」


課題とかは、座席が近くて、去年同じクラスだったから聞きやすくて聞かれてるだと思ってたし、昼一緒に食べてるのは、なっちゃんと食べてるとこに仙道が混ざってきてるだけで、確かに仙道が好きな購買のパンが買えた時はちょっとお裾分けしてあげたり、逆にしてくれる時も、ある、けど…


さんは他の男子とそんなことしないし、仙道だって他の女子とそんなことしないじゃん。俺だって彼女じゃなかったらできねーなと思ってたんだけど」


怪訝そうな顔で私たちの顔を見比べるムードメーカーに、仙道がにこりと笑顔を向けて、まぁまぁ、といなした。


「その辺にしといてやってよ、あとは俺たちの問題だし」
「…ふーん、?」
「あとそうなったときは俺、あんまコソコソしないよ」
「そっか、…仙道、なんか悪かったな」
「いや、俺もそろそろって思ってたから助かった」


男ふたりは何かを理解しあったらしく、ムードメーカーが仙道の肩をポン、と叩く。


「まぁ、そういうわけだから」
「いや何ふたりで納得してるの?」


そうこうしているうちに、なっちゃんと施錠係くんが実験室に滑り込んできて、チャイムが鳴ってしまった。
実験の間は余計なことを考える暇はなくて(化学の先生は実験に関しては結構厳しいところがある)、授業が終わるチャイムが鳴ると、昼休み。
なっちゃんは委員会があるとかでまたすっ飛んでいってしまったので、仕方なく仙道と連れ立って教室へ戻る。


、ちょっといいか」


仙道が指差すのは北校舎への渡り廊下で、あんまり人気のない場所だ。
えっと、?
思わず仙道をまじまじと見つめると、にっこり笑いかけられてしまった。


「…さっきの話の続き?」
「そうそう、さすが察しがいいよな」
「私お腹空いてるんだけど」
「俺も。手短に終わらすよ」


渡り廊下からふたりで中庭を見下ろした。
強い風が吹いて、私の髪がばさばさと音をたてて広がる。


「すごい風だな、今日」
「仙道の髪、微動だにしないね」
「これくらいの風ならね」


手櫛で髪を撫で付けていると、仙道の大きな掌が私の頭を撫でつけた。
自然と向き合う形になり、口元にはりついた髪の毛をそっとよけてくれる。


「…そういうことするから」
「ん?」
「付き合ってんのとか言われるんじゃん」
はそうやって言われるの嫌?」


穏やかな顔で仙道にそう言われて、私は返答に詰まる。
嫌なわけ、ないじゃん。
何も知らない人が見たら、付き合ってると思えるような近さだった。
でも、それは2年目のよしみとしか思わないようにして、変な期待はしないようにしていたのに。


「…仙道は嫌じゃないの?」
「嫌だったらこんなことしないし、あんなこと言わないだろ」


おかしそうに仙道が笑い、頭を撫でていた手が頬に添えられる。
やだ、そんなとこ触られたら、頬が熱いのバレる。でも動けない。
仙道の目が優しすぎて、まるで動けないようにする催眠術にでもかかったみたいだ。



「…期待してもいいってこと、?」
「もちろん」


渡り廊下の手すりに置いていた左手に、仙道の右手が重なる。
すっぽりと私の手を覆う、大きな手。


「好きだよ、


落ち着いた、低い声。屈託のない笑顔。
これからもこの笑顔の持ち主に敵うことはないんだろうか。
返事の代わりに、私が仙道の指先に自分の指先を緩く絡めると、その手は仙道によって強く握り直されたのだった。











君の手にちょうどいい愛しかない