「なぁ、あいつ彼女できたらしいぜ」
「ほんとかよ!誰?」
「隣のクラスのさんって子らしいんだけど、お前知ってる?」

テスト1週間前、いわゆるテスト週間の初日、授業が終わった教室でたまたま前の席の奴らの話し声が聞こえてきて、ノートやらペンケースをカバンにしまう手が止まった。
隣のクラスのさんって…、じゃねぇ?


「知らないなぁ、どんな子?」
「俺もよく知らないけど、なんか誰かの幼馴染らしいぜ。誰かは忘れたけど」
「おい、重要なとこ忘れてんじゃん」


まじかよ。
隣のクラスのといえば、。俺の小学校からの幼馴染だ。
それが、他の男の彼女として名前が挙がる日が来るとは。
長い付き合いの中で、彼氏彼女になりたいとまったく思わないわけではなかったけれど、中学の時は思春期というやつだったし、男連中とバスケをしている方が楽しかったのが正直なところだった。高校に入ってからはと話すどころではなく、バスケ部に復帰した今、ようやくポツポツとやりとりが増えてきたところだった。
こないだ漫画貸してやった時は彼氏できたとか何も言ってなかったじゃねーか。
何となく面白くない気持ちで教室を出ると、ちょうど今いちばん会いたくない顔がこっちに向かって歩いてきた。


「あ、三井!」
「…んだよ」
「なによ、今日は一段と不機嫌だね」


見覚えのあるCDショップの袋をが差し出す。


「これ、ありがとう。テスト近いのに一気に読んじゃった」
「おー」
「やっぱり三井の選ぶ漫画はハズレないねー」


当然のように並んで歩き出すに、「お前彼氏はいいのか」と言う言葉が喉まで出かかって、グッと堪える。そんなこと、俺が知ってて気にするなんてなんかおかしいじゃねぇか。


「なに、なんか言いたいことでもあんの?」
「…べつに」
「あ、それでさ、その漫画の最新刊、最近出たよね?」


そういえば、に貸した次の日、最新刊が発売になって本屋で買ったような気がする。
展開を確認すると、間違いない。そのキャラは、あの技で吹っ飛ぶぞ。


「えー!?ちょっと待って!ネタバレ禁止!!」
「わかったわかった、明日持って来てやるよ」
「いや、今から取りに行く!」
「は?」
「だって今日部活ないでしょ?なんか予定あるの?」
「いや、予定はねぇけど…大丈夫なのか?」


お前の彼氏はそういうの気にしねぇのか?


「勉強時間の心配ならいらないよ?誰かさんとは違うから、私」
「誰もんなこと言ってねぇだろ、てか誰かさんって誰だオイ」


俺の「大丈夫なのか?」というセリフからズレた解釈をして、が胸を張る。誰もそんなこと心配してねぇよ。


「なんなら、勉強教えてあげようか? 三井こそ、今度のテストは大丈夫なの?」
「…うるせぇ」


なんだかんだ一階の昇降口まで連れ立って降りてきて、靴を履き替える。
そういえばこいつ、いつから俺のこと三井って呼ぶようになったんだろうな。彼氏できたんだったら、俺もって呼んだ方がいいんかな。


「ほんとに来るのか?」
「え?だめ?」
「いやお前がいいならいいけどよ…」


は全然気にしてないという顔で俺の後をついてくる。
学校から俺の家までバスで30分弱。同じ小学校区のの家も当然同じバス路線で、似たようなものだ。


「あ」
「どしたの?」
「…母親、いねぇわ」
「あ、そうなんだ。お買い物かな?」
「今持ってくるからここで待ってろよ」
「え、三井の部屋行っちゃダメなの?」
「!? お前なぁ…」
「一緒に勉強しようよ」
、お前俺の部屋で読んでくつもりだろ」
「バレた?」


ドアを開けると、玄関には母親のスリッパが並んでいた。ということは、家には不在の証。
そもそもそんな長時間上がり込ませる気もなかったが、これはいくらなんでもまずいだろ。俺が彼氏だったらキツい。


「久しぶりにおばさんに挨拶もしたいし、帰ってくるまで待たせてよ」
「あ、おい!」


小学生の頃はよくお互いの家を行き来していたこともあって、慣れた様子で玄関から階段を上っていく。


、おい、待てって」
「お邪魔しまーす」


懐かしー!と嬉しそうに笑いながら、が俺の部屋を眺める。そんなに広くはない部屋の中に2人でいるのなんて、いつぶりだろう。
高1の怪我の時、俺がバスケ部に顔を出さなくなってから一度来たことがあった気がする。あの時俺は、自分で何を言ったのか全然覚えていない。


「これ、全国の時の写真?」
「あぁ」
「そっか」


壁に貼ってある写真を見て、が目を細める。


「よかったね」
「…あぁ」
「またここに来れて、よかった」
「……」
「最後にここに来た時さ、『もう俺に関わんな』とか『馴々しく話しかけてくんじゃねぇ』とか言われたけど、またこうして来れて、ほんとよかったな」
「…俺そんなこと言ったか?」


覚えてないの!?と目を見開かれ、俺は素直に首を垂れる。そうか、だから三井って呼ぶようになったのか。


「だからって、親のいない男の部屋なんか来ていいのかよ」
「え、なんで?」
「なんでって…」


が俺の部屋に来たがる理由はわかったが、それとこれとは別だ。少なくとも母親がいる時にしろよ。
さっさと漫画を渡して帰らせようと、俺はに背を向けて本を探す。この間読んだから、えーと、この辺に。


「!? な!?」


不意に、腰から腹部にかけて何かが触れて、思わず乱暴に振り解こうとして何とかこらえる。
だ。が俺の腰に腕を回して、背中に顔を埋めている。要は、後ろから俺に抱きついている。


「お、おい!?!?」
「嫌?」
「なにがだよ!?」
「私がここにいるの」
「は!?俺がいやとかじゃなくて…」


こいつ、彼氏がいるのに他の男に抱きつくようなやつだったか!?いや、いくらなんでもそれはない。
俺がガキの頃からの幼馴染だからって、それはない。
ひょっとして…


「なぁ
「なに」
「お前、彼氏いねぇの?」
「いたらこんなことしてない」


まじかよ…


「俺のクラスのやつと付き合ってるさんって、お前じゃねぇの?」
「……なんの話?」


今日の帰りに聞いた話をにすると、数秒思案顔になったあと、何かに気づいた顔をした。


「それ、たぶん2組のさんじゃない?」
「2組?」
「野球部のキャプテンの幼馴染が2組にいて、さんっていうんだよ」
「2組…」
「私は4組だから、"隣のクラスのさん"は2人いるんだね」


俺のクラス、3組。
2組も4組も、隣のクラス。…隣のクラス…。


「んだよそれは!!まぎらわしいんだよ!」
「私に言われても!」


勘違いをしていたことがわかると、猛烈に恥ずかしい。
勝手にひとりで、存在もしないの彼氏について気を揉んでいたのかと思うと、バカみたいだ。


「つーか、
「ん?」
「お前は何してんだよ」


腰をがっちりホールドされ、小学生の時にもない至近距離にいまさら心臓が早鐘を打つ。


「うん」
「うんじゃねぇよ」
「わかるでしょ」
「わかんねぇよ」


また背中に顔を埋めようとするの腕の中で身をよじり、正面から向かい合う。今度は恥ずかしさからか逃げようとするをつかまえ、腰をホールドする。


「や、ちょ、三井…」
「仕掛けたのはお前からだろ」


力で俺が負けるはずもなく、の耳が赤くなっていく。


「はっきり言えよ」
「…」

「…うれしい」
「は?」
「また三井と喋れて嬉しいし、ここに来れて嬉しい」
「…」
「私に彼氏ができたのかって気にしてくれてるのも嬉しい」
「…」
「三井に私以外の彼女ができたらやだ」
「んだそれ」
「…前みたいに呼んでもいい?」
「…おう」


言いながら段々声が小さくなって、顔がうつむいていく。俺の腕の中でがアイスクリームが溶けるみたいに小さくなっていくような感覚になる。
聞こえるか聞こえないかの大きさで、がつぶやくように俺の名前を呼んだ。


「ひさくん」
「…」
「すき」


その瞬間、胸の奥からなにか熱いものがあふれてきて、俺は一瞬天井を見上げる。
この一言の破壊力がこんなにも強いなんて想像以上だ。カッと顔が熱くなって、そんな顔を見られたくなくて勢いよくを抱きしめる。
そろそろと俺の背中にもの腕がまわり、俺はより密着しようと腕に力をこめる。
バスケの試合の後に感じる達成感とはまた全然違う充足感が胸に広がり、味わったことのない幸福感に小さくため息が漏れた。そうか、俺はずっとこうしたかったんだな。
2年前に捨てたものは、バスケだけじゃなかった。また拾わせてくれて、ありがとうな。
の肩に手を置き、そっと体から離し、うつむいている顔の顎に指をかけて上を向かせる。
ぽかんと半開きの口に、俺は自分の顔をゆっくりと近づけていった。










ドツペルゲンガーの恋人