山王が、負けた。
無敗の絶対王者、山王工業バスケットボール部が、神奈川のインターハイ初出場校に。
そんなこと、あるなんて。でもあった。この目で、見てしまった。
コート上に集まって喜ぶ赤いユニフォームに対して、ちらばっていた白いユニフォームがポツポツと集まる。
ここからは4番の背中しか見えなくて、他のメンバーに比べて肩も上下していない。あぁもうみきお、泣きすぎだよ。私も人のこと言えないけど。

深津。ねぇ深津。こっち向いて。どんな顔してるの。
でもこっち向いてくれてもその顔は見れないかもしれない。でも、私が顔を伏せているわけにはいかない。でも、涙で視界がぼやけて何も見えない。でもでもうるさいピョンて深津の声が頭に響く。
深津の顔が動く。こっち、向いてる。でも、顔見えない。
深津。深津。どんな顔してるんだろう、ごめんね、何も見えない。

山王側の応援席に向けて、スタメンをはじめ、ベンチ入りしたメンバーたちも一列に並び、礼をする。その先頭で声を出したのはもちろん深津で。いつもと変わりない深津の声が耳に響く。


「…、立てる?」
「…ごめ」


秋田から一緒に見に来てくれた友達が背中をさすってくれる。
いい試合だったね、と呟く彼女も鼻声だ。
そう。いい試合だった。勝ったチームにも素直に賞賛の気持ちでいっぱいだ。すごい試合だった。


「…関係者出入り口、行かなきゃ」
「うん、そうしなよ」


試合が終わった後は、一般客が入れるギリギリの場所で深津を出迎える。
付き合い始めた時からの習慣だ。言葉を交わせない時も多いけど、それでもよければがいてくれると嬉しいと深津が言ってくれたから。

記憶にある限り、山王が負けた試合の出待ちなんてしたことがない。
どんな顔をすればいいのかわからないけど、こんな時に行かないわけにもいかないし、遅れるわけにもいかないからとりあえず向かおう。


通りがかった自動販売機でポカリを1本買い、朝確認しておいた場所に向かう。
ちょうどトイレが近くにあって、鏡で簡単にメイクを直す。目が赤いのはもうどうしようもない。気を抜いたら今にも涙が溢れそうだ。

次の試合の選手たちも出入りするし、何より沢北くん目当てらしい女性たちがたくさん待っていて、思ったよりも人が多い。気まずそうな雰囲気もあるが、それでも沢北くんに何かを渡したいという気持ちが上回っているらしい。もうすぐアメリカに行くと言う話もまことしやかに囁かれていて、それがファンの子達への刺激にもなっているようだ。


「あ、来た来た」


沢北くんファンの子達が一斉に動き出す。
手にはお花や紙袋。芸能人みたい。
通路の奥から山王の部員たちがぞろぞろと現れる。スタメンの姿は無く、大きな荷物を持った下級生たちのようだ。

どんな顔すればいいんだろう。
深津の前に、どんな顔していればいいんだろう。
今日は喋れるんだろうか。
多分ないだろうけど、もしも深津が泣きたい気分だったら、私が泣いてたら泣けないだろうし。でも笑ってるのもなんかおかしいし。ていうか笑えないし。
無表情っていうのも、なんか違う気がするし。


「すみません、通行の邪魔になるので関係者以外の人はここに溜まらないでいただけますか。すみません」


山王の下級生の子が、出待ちの人たちに声をかけている。
やばい、私も別に関係者じゃ無い。


沢北くんを出待ちしているらしい女性が下級生の子に何か話しかけ、首を横に振られている。坊主頭の屈強な男子高校生が頭を下げ、それでいて退散の圧力をかける。
ぶつぶつと言いながら花束と紙袋の波が少しずつ広いロビーの方に抜けていった。


私も退散した方がいいだろうかとキョロキョロしていると、ぽん、と肩を叩かれた。振り返ると、見知った山王の部員だ。



「先輩は関係者っすから、帰らないでください」
「そうなの?ごめん、ありがとう」
「何言ってんすか、山王の生徒っすから」


そろそろ深津さんたち来ますから、と言葉を残し、通路の奥へと消えていく。
言葉通り、ほどなくしてぞろぞろとユニフォームをもらったメンバーが現れる。
やっぱりどんな顔をすればいいかわからなくて、観葉植物の影に体を半分隠してその行列を見守る。
みんな平静を装っているけど、どんな精神状態なのか、日本一なんていう看板を背負ったことのない私にはまったく見当もつかない。
河田兄弟や野辺に松本、イチノの姿も見えたけれど、沢北くんと深津の姿は見えない。
人が完全に途絶えたところで、堂本監督と沢北くんが現れた。
沢北くんの目は真っ赤になっていて、だいぶひどく泣いたらしいことがわかる。
さっきの人払いは、このために行われたんだろうか。
その二人の姿も角を曲がったあと、深津がひとりでゆっくりと現れた。



「、あ」



一瞬、私を探すように深津が周りを見渡した。
パキラの陰から半身を出すと、深津の目がまっすぐ私を捉える。
深津がどんな顔をしているかを見るより早く、私の体は深津にすっぽり包まれて、ふたりしてパキラの影に隠れる。


「ふか、つ」
「…」
「…」


抱きしめる腕は強くはないけど、言葉ではうまく説明できない深津の感情と一緒に抱きしめられているようで、身動きひとつできる気がしない。
深津が私を抱きしめたいなら、いつまでも抱きしめてくれたらいい。


「…来てくれてありがとうピョン」
「…うん」
「…どんな顔したらいいかって顔してたピョン」
「え、」
「どんな顔したらいいかわからないから、来てないかと思ったピョン」
「そんな」
「どんな顔でもいいピョン」
「…え?」
は、俺の前に来るだけでいいピョン」
「…」
「ほんとは勝った日でも、こうしたいピョン」
「そうなの」
「とにかく抱きしめたいピョン」
「うん」
「これからもずっと、俺のそばから離れるなピョン」
「うん」



深津は無言で私を抱きしめ続ける。きっと、彼は彼のやり方でこの出来事と感情を処理しているんだ。私が少しでもそのお手伝いをできるなら、喜んでこの体を差し出そう。
永遠かと思う時間が流れ、深津がふわりと私の体を解放した。


「ありがとうピョン」
「うん、もういいの?」
「十分だピョン」


久しぶりに視線が交わる。いつもの深津だ。
思えば、さっきまでは確かにいつもの深津ではなかったかもしれない。



「うん?」
「…なんでもないピョン」
「えー?」


そろそろ行くピョン、と深津が私の頭をさらりとひと撫でして、荷物を抱えて歩き出す。


「今日は珍しく人払いがあったね」
「沢北のおかげピョン」
「…目、真っ赤だったね」
「…俺もあいつも、いい経験になったピョン」


ロビーに出ると、さっきの紙袋と花束を持った女の子たちがうろうろキョロキョロと沢北くんを探していた。どうやらうまく巻けたらしい。


「じゃあ、また秋田でね」
「気をつけて帰るピョン」
「声かけてくれたあの子によろしくね」
「気が向いたら言っとくピョン」
「ちょっと!」


うっすらと微笑んだ深津が右手を挙げて、チームメイトの元に向かって歩いて行く。
その背中はいつもの深津の背中で、いつもの微笑みが見られたことに少しだけ安堵した。
まだまだ心の底では処理しきれてないことはたくさんあるだろうけど、自分が真っ先に前を向いていかなければという強い意志を感じる。
彼らのバスケはこれで終わりではない。もう、気持ちは冬の選抜に向かっているんだろう。
そのためには、今日のことを冷静に振り返らなくては。
次の勝利に向けて。










つたなくされどしなやかに