新幹線に乗ること数時間。
東京駅に到着のアナウンスが流れた。
いよいよ、だ。よく考えたら初めてのお泊まりで、いろいろな状況を想定したら、荷物が膨れ上がってしまった。それでも、深津からの忠告を素直に聞いて、肩にもかけられる程度の大きさのボストンバッグ、それに小ぶりのリュックという2泊3日にしては身軽な格好にまとめてきた。

ほとんどの人が降りて行ったのを見計らい、降りる列の最後尾に並ぶ。
ホームに降りると、次の電車に乗る人たちで溢れかえっていて、私は思わず足を止める。


「っ!」
「きゃ、!」
「…チッ」


横からやってきた人に荷物がぶつかり、舌打ちをされた。
すみません、と謝る隙もなくその人は足早に去って行く。
入り口近くで立ち止まっていたからか、清掃の人たちにも訝しげな顔で見られてしまい、私は慌ててホームの中ほどまで移動した。


「…す、すごいなぁ、東京…」


深津はこんなところで毎日電車に乗って、学校に通って、ひとりで生活しているんだろうか。
新幹線に乗っている間は、ついに深津に会えるということで楽しさ120%だった気持ちが、心細さにすっかり萎れてしまった。こんなに人がたくさんいるのに、自分が今何かで困っても誰にも助けを求められない。
東京は遠いし、大きいし、エネルギーが強い場所だ。

時刻は17時4分。
乗ってきた車両が4号車だけど、6号車の前のベンチをどうにか探して、座りこむ。隣の人は入れ替わり立ち替わりで、ぼーっと座っている自分がますます取り残されたみたいだ。


「まだあと20分以上…」



深津。
深津、早く会いたい。
早く会いにきてほしい。

こんなに人がいるのに、会いたい人はひとりだけで、その人に会えていないことがこんなにも寂しいなんて。
深津、深津…




「…?」
「!」


前を向けなくてうつむいていた私の頭上から、ずっとずっと聞きたかった人の声が聞こえた。
弾かれるようにして顔をあげると、いつもと同じ顔をした深津の姿があった。
3月の終わりに秋田で見送った時はだいぶ伸びていた髪が、また高校時代のような坊主頭になっている。見慣れた姿にほっとした。


「ふか、つ…」
「大丈夫かピョン」
「う、ん、」
「気分悪そうピョン」
「う、ううん、」


その場にしゃがみこみ、深津が私の目線と高さを合わせる。
人の多さに酔ったピョン?と心配そうな目をしながら深津が私の手を両手でさすった。
その手の暖かさと、久しぶりに触れた深津に胸がいっぱいになってしまって、何も言えなくなる。
無言で手を握り返すと、ふ、と深津が小さく微笑んだ。


買ってきてくれていた水を飲み、だいぶ気持ちもスッキリしたところで、立ち上がる。
当然のように深津がボストンバッグを左手に掴み、右手で私の左手をしっかりと握った。そんなに変わらないはずなのに、ひと月前より手のひらが分厚くなったような気がする。
自分は何も変わらないのに、深津だけがどんどん変わっていってしまうような錯覚を覚えて、ちくり、と胸に小さな痛みを感じる。


「行けるかピョン」
「うん」


迷いなく踏み出された足の力強さに安堵感を覚える一方で、一抹の寂しさも感じる。深津にとってこの場所は、いつもの日常の場所なんだ。一方で私は、いつかの秋田駅のように引っ張られるまま歩くしかできない。




「あっ、電車行っちゃう」
「大丈夫だピョン、すぐ次来るピョン」


私でも名前くらいは聞いたことのある電車のホームに到着したら、車両にたくさんの人が吸い込まれ終わるところだった。あわてて小走りになりかけた私に対して、深津は歩幅を変えない。


「そ、そっか…そうだね、ここ東京だもんね」
「もうきたピョン」
「は、はや…」
「手、しっかり握るピョン」
「え、うわ、」
「はぐれたら一生会えなくなるピョン」
「や、きゃ、」
「大丈夫、離さないピョン」


ぐっと腕を絡めるように引き寄せられ、電車の中に体が押し込まれる。
一般の人よりは体格のいい深津のおかげで、なんとか車両の中にスペースを確保できている。


「…すごいねぇ」
「…あんまりキョロキョロするなピョン」
「ご、ごめん。何駅くらい乗るの?」
「7駅くらいピョン」
「7駅!?」


こんなに満員電車で7駅も乗るのはなかなか大変じゃないだろうか。7駅って、相当遠くまで行くのでは。
思わず目を見開いた私に、深津が呆れたような顔をする。


「……1駅間は2、3分ピョン」
「あ、そ、そっか」


すん、とした深津の顔は見慣れた姿で変わらないはずなのに、なんとなく違って見える。田舎者の私の隣にいるのが恥ずかしいのかもしれない。
赤の他人のように見られたいのか、唇を引き結んで斜め上を向いている。


「…」
「…」
「もうすっかり都会の人だね」
「なに拗ねてるピョン」
「拗ねてない」
「そもそも俺は秋田の人間じゃないピョン」
「…悪かったわね、イナカモンで」
「そんなこと言ってないピョン」
「河田だったら一緒に驚いてくれたんだろうな」
「…じゃあ河田と付き合えピョン」


なんでこのタイミングで河田の名前を出してしまったのか、自分でもわからないけれど、「河田と付き合え」という言葉に、頭をガツンと殴られたような衝撃を覚える。一緒に驚いてくれるだろう、という言葉には付き合いたいとかそういう意図はもちろん微塵もなかった。
もしかして、深津は、この1ヶ月の間に、何か心変わりしてしまったんだろうか。
私なんて、別に、深津の彼女じゃなくても、?






「ついたピョン…っ!?」
「……っ……」
「…とりあえず降りるピョン」
「…」
「切符、ちゃんとあるピョン?」
「…ん」
「出口、こっちピョン」
「…」
「とりあえず荷物置きに家に帰るピョン」
「…ん」
「晩飯は近くのラーメン屋でいいピョン?それとも駅前のスーパーまで戻るピョン?」
「…ラーメン…」
「わかったピョン」



すぐ近くのドアが開いたので電車を降り、改札へと進み、東口と書かれた出口へと向かう。
涙目で唇を噛み締めていた私も、人波に飲まれないように必死に深津の歩みについていく。
駅から10分ほど歩いたところが深津のアパートだ。一般的なマンションほどではないが、アパートという割には立派なエントランスを抜け、3階にあるという深津の部屋への階段を上がった。

先に部屋の中に入るように促される。ドアが閉まる前に、深津が後ろから手を伸ばしてボストンバッグを玄関に置いた。
ガチャン、とドアが閉まるや否や、後ろから強く抱きすくめられた。


「…ッ!?」
「…」
「深津…?」
「…」


どんどん腕の強さがきつくなる。痛い、と言おうとした瞬間くるりと体が回転させられて、深津の胸板が目の前に迫る。深津の腕は背中にまわされている。


「…ちょっ、ふかっ、」

「…っ!!」


身を捩って腕を振り解こうとするけれど当然抜けられるはずもなく、一瞬力が緩んだと思ったら、肩をつかまれてキスをされていた。


「…んっ、…」
「…」
「…ふぁ、…ぁっ、」
「…エロい声だすなピョン」
「だっ…て…っ!」


随分長いこと合わせられた唇が離れ、またぎゅっと抱きしめられる。
今度は力を加減した、優しいハグだ。


「ホームでの手を握った時からずっとこうしたくてやばかったピョン」
「…ムラムラしてたってこと?」
「目を合わせたらキスしそうだったピョン」
「だからこっち向いてくれなかったの?」
「俺はこんなになってるのに、河田の名前出すから冷静でいられなくなったピョン。…意地悪言って悪かったピョン」
「別れたいのかと思った」
「なんでそうなるピョン」
「遠恋の間に、好きな人でもできたのかなって…」
「できるわけないピョン」


また体が離れて、今度はちゅ、と軽いキス。


「言ったはずだピョン。俺がのことを好きなのは絶対に変わらないって」
「…うん」


とりあえず靴を脱ぎ部屋にあがり荷物を置いて、床に置かれたクッションに座ってひと息つく。
体が資本だし、外で食べてばかりだと食費が大変なことになるというので、割としっかりしたキッチンのある家にしたと聞いていた。廊下を抜けるとキッチンと冷蔵庫などの家電をまとめて置けるちょっとしたスペースがあり、その先にベッドやテレビのあるリビングという間取りのようだ。


「意外と片付いてる…」
「あんまり物がないだけだピョン」


一人には大きい、でも二人でご飯を食べるにはちょうどよさそうなローテーブルを眺めていると、深津が麦茶の入ったコップ二つを手にして向かいのクッションに座った。


「もう調子は大丈夫ピョン?」
「うん、ありがと、…なんか、東京が思ったよりすごくて、びっくりした」
「すごい?」
「人もめちゃくちゃ多くて、いろんなものも大きくて、深津はこんなとこで日常を過ごしてるんだなって」
「…」
「私なんか地元を出てないから何にも変わってないのに、深津だけどんどん変わってるのかなって…」
「別に高校の時と何も変わってないピョン。寝て起きて、飯食って授業受けてバスケして、また飯食って寝るだけピョン」


静かにお茶を飲みながら言う深津の物言いは確かに何にも変わってなくて、私は思わず吹き出す。


「それに、は変わってないことないピョン」
「え?そう?」
「…化粧もしっかりしてるし、大人っぽくなったピョン」
「…え、」


気づいていないと思っていたことに気づかれていて、驚く。


「やっと会えたのに調子悪そうで心配したし、でも顔見たら我慢できなくなりそうだし、なのに河田の名前出すし、あげく半泣きだし、俺の情緒が持たないピョン」
「なにそれ!」


一気にコップの残りのお茶をあおり、深津が立ち上がる。


「まぁ確かに、俺も変わったところはあるけど、変わっていないところもたくさんあるピョン」


お互いそれは自然なことピョン、と諭され、私はこくりと頷く。
新生活で、環境が変わったのだ。変わることもあれば変わらないこともある。
私が好きだと思う深津の本質的な部分は変わっていないし、逆もそうであってほしい。


「そろそろ腹減ったピョン?今日は長旅で疲れてるだろうから早く風呂入って寝るピョン」
「…うん」
「…早く寝るためにも、早く飯食うピョン」
「……寝かせてくれる?」
「…そのためにも早く飯食うピョン」


玄関の扉の鍵を閉め、手を繋いで階段を降りる。
さっきまでは自分と深津の日常が全然違ってしまっていることに寂しさがあったけど、今はその日常を知れることが嬉しい。
願わくは、これからの日常で私がいる景色を思い出してくれますように。


「…3月に、たっぷり刻み込んだつもりだったけど足りなかったピョン?」
「へっ!?」
「俺のへの気持ち、ちゃんと伝わるように今日は努力するピョン」
「…お、お手柔らかに…」











ハンカチーフはいらない