、今度の試合観に行く?」
「…あー、ちょっと予定あって、」


同期入社の彼女の言う「今度の試合」とは、来週末に行われるウチの会社の実業団のバスケの試合のことだ。
入社一年目に半強制的に何試合か行かされて以来、昨年度も今年度に入ってからも、一度も観に行ったことはない。

「今度の試合も仙道くん出るんだって!」
「…へー」


…尚更、絶対行けないな…
まさに「ウキウキ」という雰囲気で社食のトレイにおかずを乗せる彼女を横目に、小さくため息をつく。
付き合いのいい彼女は、去年も何度か観戦に行き、今年度に入ってからは皆勤賞らしい。
お目当ては、一応私と同じ部署に配属されている1年後輩、仙道彰くん。


「先月の試合でもスタメンで出て活躍してたし、ほんとにカッコよかったんだから!」
「へー…」


私の気のない返事も意に介さず、いかに仙道くんがカッコいいか、バスケの試合がおもしろいかを語り尽くしてランチタイムが終わってゆく。
は同じ部署だから会社でも会えて羨ましい、と嫌味にすらならない素直な羨望のまなざしを軽くいなし、エレベーターを降りて角を曲がったところで、今の今まで散々名前を聞いていた本人と出くわしてしまった。


「あ、さん、」
「…お疲れ、今から練習?」
「はい、試合近いんで」


一応内勤の規定に沿ってスラックスとポロシャツ姿で、大きな荷物を肩にかけた仙道くんがにこりと笑う。


「らしいね、頑張って」
「…ざっす、」
「じゃあ、また、」
「…さん」

すれ違うしかなくて、仙道くんの横をすり抜ける、まさにいちばん接近したところで名前を呼ばれて、思わず息を呑んだ。
仙道くんは一歩も進んでいなくて、静かに私を見下ろしている。


「今度の試合も来ないんすか?」
「う、うん、ちょっと予定、あって」
「…そ、すか」
「あ、あの、応援してないとかじゃ、ないから!」
「わかってますよ」


なぜかわからないけど勝手に焦って歯切れ悪く返す私に対して、仙道くんはずっと落ち着いたトーンだ。
恐る恐る視線を合わせても、表情は柔らかい。


「次は、お願いします」
「う、うん、」


チームに所属している社員の人は、みんなそう言う。
応援の人は多い方がいいし、ほとんど仕事をしていなくて肩身が狭いから、応援に来てもらうことで認めてもらえたら嬉しい、ということらしい。
もちろん多くの社員は実業団チームのことは応援しているし、私だって同じ部署にチームメンバーがいるんだったらできるだけ行った方がいいことくらい、頭ではわかっている。
わかってる、んだけど。



「(む、むり…………)」




***




「実業団メンバーの仙道彰くんだ。当面は週2〜3回、午前中の出社になる予定だが、みんなで支えていこう」


去年の4月、部長からそう紹介された仙道くんは、緊張した面持ちで大きい体をスーツに閉じ込めて頭を下げた。
業務内容はいわゆる雑務みたいなもので、4月当初は当時2年目だった私がしていたことをお手伝いしてもらうことも多くて、引き継ぐこともないような雑務を引き継いでいた。


さんは休みの日は何してるんですか?」
「うーん、最近は寝てたら終わるかな…」
「…社会人て大変なんすね」
「んー、てかね、私昔からたくさん寝ないとダメなんだよね」
「ロングスリーパー、てやつですか」
「っていうのかな?最近はちょっと早く起きれたら、スーパー銭湯いってサウナ入るのにハマってるよ」
「サウナいいですね、俺も練習終わり行くことありますよ」
「練習で汗かくだろうに、さらに汗かきに行くんだ!?」
「汗の種類が違いますからね」

取り立てて特別なことはしていない私の日常について、仙道くんは些細なことでも共感してくれたり、話を合わせてくれたりしていた。それでいて気を遣っている風でもなく、本当にお互い自然体でいられたと思う。
そんなわけで私たちは、たまのランチはもちろん、4月末のシーズン最後の試合が終わったら飲みに行こう、という約束をするくらいには打ち解けていた。


その最後の試合は、私は親戚の法事があって観戦できず、仙道くんも出場予定はないと言っていたのであんまり気にはしていなかった。




「あ、!!1年目の仙道くんての部署だっけ!?」


週明け、おはよう、の挨拶もそこそこに件の同期の彼女が詰め寄ってきた。
どうやら試合展開の事情で仙道くんは後半途中から試合に出場し、すこぶる活躍し、会場にたくさんの女性ファンをつくってデビュー戦を終えたらしい。


「イケメン新入社員がいるって聞いてたけど、まさかあそこまでとはね!」
「そ、そうなんだ…」
も来れたらよかったのにね!」
「そ、そうだね…」


すっかり仙道くんと自分のいる世界が変わってしまったような気がして、そこから何となく距離を取るようになってしまった。
明らかに仙道くんの周りに女性社員が増えたし、練習前にお昼に誘われる姿も頻繁に見かけるようになった。
さらに、オフシーズンに入ったことで仙道くんも休みが増え(メンバーはこの期間でしか取れないから、有給消化を促される)、オフ明けには活躍した仙道くんの練習量と私の仕事量も増えたことがあって、ゆっくり話す時間もなく、飲みに行く話も自然と立ち消えてしまったのだった。




「(…あれからあっという間に1年、だな…)」


当たり前だけど、実業団チームのメンバーというのは、ただでさえ多忙を極めている。会社員とスポーツ選手の二足の草鞋だし、ましてや仙道くんはまだ2年目。去年は1年目ということで生活リズムの変化に慣れるのに精一杯だっただろうし、オフの期間も自主トレで決してオフではなかったに違いない。
もう誰もいない廊下の先を見つめながら、体壊さずにがんばって、と心の中でつぶやいて、私は午後の業務に勤しんだ。




***




「もう、最高だった!」
「はいはい」
も来ればいいのに!来週も試合あるよ!シーズン残り少ないし!」
「ん〜…」



朝からハイテンションな同期をあしらいつつ、今週の業務の内容を頭の中で洗い出す。結構テンポ良くやらないと、なかなか厳しい退社時間になってしまいそうだ。



「最終戦は部長も来るらしいし、もそろそろ来といた方がいいよ」


不意にトーンが落ちた彼女の声に、えっ、と思わず顔を向ける。
なんと、今年度からは実業団チームへの応援も会社への貢献度を表す、ということで査定にも関係するかもしれないという噂がまことしやかに流れているというのだ。


「うっそだぁ」
「直接査定には響かなくても、心象悪くする必要なんてないでしょ」


それは確かに一理あって、言葉に詰まる。
同じ部署に後輩がいるのに、なぜ見に行かないのかと不思議がられたことは一度や二度ではない。



「そろそろ自分に素直になった方がいいと思うよ?」


意味深な目配せをして、彼女はエレベーターの最後の一人に滑り込んでいったのだった。






「…もうこんな時間か…」


朝の同期の言葉が頭から離れず、結局思ったように仕事を進められなかった。
今日のタスクがようやく終わった頃には時計の針は21時を回っていて、当然のようにフロア内には人の気配は皆無だ。

誰もいないのをいいことに、パンプスを脱ぎ捨てて回転椅子の上でむりやり膝を抱える。いすが半回転したけれど、気にせず膝の間に額を埋める。


試合を、見たくないわけじゃない。むしろ、見たい。
試合ではなくて、彼を、見てみたい。
でも、見てしまったら、それこそ…



「…パンツ、見えてますよ?」
「ッ!?!?!?」


誰もいないと思っていたのに声をかけられ、反射的に体が飛び跳ねる。



「せ、仙道くんっ!?」
「お疲れ様です、さん」
「なん、え、こん、どうし、て、え?」
「練習終わって近くの店で飯食ってたんですけど、忘れ物したのと、あとフロアに電気ついてたんで…もしかしたらと思って」
「え、あ、そ、うなんだ…お、おつかれ」


あわてて足をおろし、パンプスに足を突っ込む。


「…わ、忘れて、ね」
「どうでしょう」


いたずらっ子のように微笑みながら奥のロッカーに消えた仙道くんの背中を見送り、さすがに自分も帰り支度を始める。
仙道くんと一緒に降りるのはちょっと緊張するけど、こんな時間にまだ仕事が残っているのも非現実的だ。


さん、飯まだですよね」
「うん」
「どこか行きましょう、付き合いますよ」
「えー、いいよいいよ、もう食べたんでしょ?」
「会社戻るために軽くしか食べてないんで」



時間も時間だったので、おとなしく誘いにのり、せっかくだからと一人ではなかなか入れずにいた牛丼チェーン店に付き合ってもらう。色気も何もないし、このくらいがちょうどいい。と思っていたのに。
「話したいことがある」と、いつになく真剣な顔をした仙道くんを振り切ることもできず、駅からほど近くにある小さな公園のベンチに並んで座ることになってしまった。








「なんで去年1年、試合来なかったんですか?」
「なんでって…」
「俺も声かけたし、同期の人にも誘われてましたよね」
「知っ…!?」
「なんでですか?」
「…っ…、」


理由は、明確なものが、ある。
あるけど、それは仙道くんにだけは、言えない。


さん」
「…な、んで、」
「え?」
「なんで、そんなこと、仙道くんに言わなきゃいけないの…?」
「俺が関係してると思うからです」
「〜〜〜!?」


まっすぐな視線で射抜かれながらそんなこと言われて、思わず目を見開いてしまう。
足元がぐらぐらと揺れるような錯覚を覚える。


「な…、え…」
「そうですよね?」


ぱくぱくと口を動かす私を見て、少し困ったように微笑む仙道くんが、あいかわらずかっこよくてもう頭の中が爆発しそう。


「…先に俺から言わないとダメっすかね」
「へ?」
さん」
「は、はい?」


一瞬だけ仙道くんの顔に緊張感が走って、形のいい唇がひき結ばれた。
ゆっくりとその口が開いて、


「好きです」


「俺たち、付き合いましょう」



閉じた。



「…は?」



方や、ぱくぱくしていた私の口は、ぽかんと開きっぱなしで。



「…は?じゃなくて、」
「え?」
「聞いてました?」
「…え、え??」


す…き…?
すき…?すき………!?


さん、」


仙道くんの腕が、私に向かって伸ばされた。
ふわりと背中に腕が周り、ゆるりと抱きしめられる。
もう、意味がわからなくて、頭の中が真っ白だ。


「好きです、さん」
「…」
さんは、俺のこと好きじゃないですか?」
「………」


優しく紡ぎ出される声の音の内容を必死に理解して、ふるふると小さく首を横に振る。


「…好きですか?」
「…」


喉がまったく開かなくて、ばくばくと心臓が言っている。
もうどうしようもなくて、仙道くんの腕の中、こくりと小さく首を縦に動かすと、頭上ではぁーーと深く息が吐き出され、ぐっと腕に力が込められた。


「やっと素直になってくれた」
「…え、え?」
「俺のこと、好きでいてくれてるのかなぁと思ってたんですけど」
「え、」
「なんか喋ると距離あるし、試合は全然観に来てくれないし」


せっかくいいとこ見せれるとこあっても、来てないんスもんね、と拗ねたように仙道くんが呟く。


「な、なん、で?」
「それは俺のセリフですよ」


ぐ、とさらに腕に力がこめられ、これ以上ないくらい仙道くんの体に密着する。


「なんで俺のこと若干避けてたんですか」
「そんな…」
「誤魔化せると思ってます?俺さんのことずっと見てるのに」
「……」


何だか住む世界が違ってるように感じたから、なんて、子どもじみすぎている。


「じゃあもうひとつ」


ふう、と息をついて、仙道くんが私の頭を撫でる。


「試合観に来なかった理由、本当に俺ですか?」


何でもかんでも黙っているわけにもいかず、小さく頷く。


「…すんません」
「え?」
「やっぱり、ほとんど先輩社員だから無下にはできなくて…」
「な、なにが?」
「ファンの人は社内も社外も大切だからって上からも言われるし…」
「な、なんの話?」
「…へ」

よくわからない方向の仙道くんの話に、あわてて身を捩って仙道くんから体を離し、顔を見上げる。
ぽかん、とした顔の仙道くんと目が合う。


「…え、いろんな女性から差し入れもらったりするのを見るのが…嫌なのかなって…」
「…あ、え、そ、そうなんだ…」


そうか、仙道くんみたいなアイドル選手相手だったら、みんな差し入れとか持っていくんだ。同期の彼女からそういう話は聞いたことがなかったから、全然考えてもいなかった。
気の抜けた私の返事に、仙道くんがぽかんとした顔をしている。


「じゃあ、なんで…」
「え、や、それは……」


理由を告げるのは、あまりにも恥ずかしい。
でも、言わないと解放されなさそうだし、困惑しきった仙道くんが不憫だ。


「…笑わない?」
「…はい」



「……カッコよすぎるだろうから」
「は?」
「…実際、試合の時の仙道くんカッコいいって聞いたし」
「え、いや、え?」
「…普通に会社にいる時だってカッコいいのに!バスケしてる仙道くんなんてカッコいいに決まってるし、そんなの見たら…もう……」


完全に好きになっちゃう、世界が違う人なのに。


「…予防線だったってことすか?」
「………そ、う、いうこと、かな」


ちらりと目線だけ上にあげれば、口を半開きにした仙道くんと目があって、かぁっと顔が熱くなるのを感じた。と、同時にぐっと片手で後頭部を押さえられて抱き寄せられる。


「…ちょ…っ、なに、それ…さん…ヤバ……」
「ヤバって、な、に…っ!?」


無理やり首だけ上にあげれば、ほんのり顔を赤らめた仙道くんが口元を手で押さえていて、え、なに、照れてる…!?


「…可愛すぎること言わないでくださいよ…」
「…だ…って…」


半ばやけくそで、目の前の仙道くんの胸に顔を埋め、背中に腕をまわす。
伝わる体温に、やっぱり恥ずかしい気持ちもあるけれど、じんわりと心は落ち着いてゆく。


「でも、やっぱり行かなくて正解だったかも」
「なんでですか?」
「だって仙道くん女の人に囲まれてるんでしょ?」
「いや俺だけ囲まれてるわけじゃないですけど」


困ったように笑いながら、仙道くんが私の頭に顎を乗せる。


「差し入れ、断りましょうか」
「ううん、ダメだよ、チームのためだから」
「彼女いるってことは言っていいですか?」
「え、なんで?」
「それで無くなる差し入れならそういうことかってなりますけど、その後もしてもらえたら本物の差し入れじゃないすか」


あっさりと言いのける姿に、そういう差し入れとそうじゃない差し入れをもらってきた仙道くんの歴史を感じて、笑ってしまう。


「そろそろ行かないと終電ですね」


手元の時計を確認して、仙道くんが私の体を解放した。
自然と繋がれた手を、小さく握り返す。


「私だってことは言わないよね」
「え?」
「え!?」
「俺隠すの下手なんですよね…」
「うそ!?頑張ってよ!?」



その言葉通り、1週間後の試合直前、観客席の私を見つけて嬉しそうな顔をした仙道くんによって、あっさりと私たちの関係は周囲に露呈するのだった。



「やっとくっつけたんだ、よかったな、って何人かに言われましたよ」
「うっそでしょ!?!?」
「俺以上にさんの方が隠すの下手だと思いますよ」
「……もういや……」







気づかないふりしてごめんね





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